現代風頭でっかち

タイトルは完全に私の造語であるが…

頭でっかちと言われると、私のイメージは理屈ばかりで行動になかなか移らない人の事。

今でも言葉の意味としてはそうだろう。

ただ、何故現代風…というタイトルを打ったのかと言うと、イメージに囚われ過ぎていないか?という問題提起をしたかった。

たとえば、かつてはIT道片という言葉があった。IT系の人が安い給与で昼夜無く単純労働の様に働く様を土木作業者に例えたものだったと思う。

今でも末端作業者の人はそうだろう。
でも、一部のエンジニアは世間の平均給与よりはるかに多く貰っている。

飲食、小売、物流など、ブラックと言われて久しいが、この3種で働く人がどんなに多い事か…。仕方がなく働いている人も少なく無いが、多くは望んで働いているのだ。

では、何を以てブラックと言うのか?
法令遵守していない所はブラックと言って言いかも知れないが、他はどうだろう?

入らないと判らない事も多いが、毛嫌いする必要も無いと思う。終身雇用など崩壊しているし、大手企業程崩れた時が悲惨だし、崩壊が見えない事もある。

潰れるホワイトと呼ばれる大企業、潰れないブラックと呼ばれる業界の企業、過労死や自殺のある有名企業。何が自分にとって良いのかは、風評では決まらないのでは無いだろうか?

理論と感情の間とは…

たとえば、飲食店で食事をしている時に、髪の毛が入っていたとする。

貴方は文句を言う人だろうか?
不快に思う人だろうか?

不快に思ったとして、その髪の毛が自分の物の可能性は考えただろうか?
或いは最初から、混入を想定して店を選んだだろうか?

店員が髪の毛を完全にしまっていても、髪の毛の混入は起きるの。混入されるのが嫌なのに、髪の毛しまってない店を選んだのは何故だろう。
自分の髪の毛一本、常に抜け落ちた瞬間を把握出来ないのに、自分のものを疑わなかったら、何故だろう。

そして、不快に思う根拠は何だろう?
食べれないからか?それは解る。
食事をしにきているのだから。

衛生面?髪の毛=不衛生を理屈で説明できるのは、ほんの一握りだろう。
そして、それを説明できる人ならば他の部分の衛生レベルの方が気になるだろう。(影響力、リスクの大小という意味で。)

つまるところ、人は理屈を重んじながら、限りなく印象≒感情で動いている。
それを理不尽と呼ぶこともある。
時々感情を吐き出しているのに、それに理屈を伴おうとして、意味不明になっている人がいる。

自分はそうなりたく無いものだ。
人にやられて嫌な事を人にする人になりたくないからな。

ビール乾杯の文化とは

最近、乾杯のビールが苦痛と言う話を聞く。
乾杯の際にひとなめでも良いからビールに口をつけろと言うのが嫌という話も聞く。

確かに、ビールが苦手と言う人もいるだろう。ただ、何故乾杯ビールの文化になったのか…考えた事はあるだろうか?

恐らく、瓶詰めのアルコールで一番アルコール度数が低いからだ。

人数いるところで、乾杯の為に1度に飲み物を用意するのは難しい。式典であるから、アルコールの必要があり、瓶詰めのアルコールで一番度数が低いビールになったのだ。海外ではシャンパン乾杯、ワイン乾杯もあるが、bar以外でカクテル乾杯はない。同じ理由だろう。

ビールがいやなら、ウィスキーで乾杯すれば良いじゃない。ハイボールではなく、ストレートだぞ?

給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。

給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。

給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。

情報化社会と恋愛とは

情報化社会と言われてから、もう四半世紀近いだろうか?
当時、メモリー64MBのデスクトップパソコンでも数十万円だった。
今から20年前位でも、メモリー512MBのノートパソコンが30万位した。

今や、メモリー8GBのスマートフォンが8万円しない。

デジタルデバイスとその環境は文字通り指数的に進化した。
それに伴い、人々が接する情報量も指数的に増えた。

人と人との繋がりも、季節の挨拶の様な文通は廃れ、電話すら廃れ、Lineの個々のやり取りも下火になり、Twitterの様な間接的なやり取りも増えた。

なぜだろうか?
個人的には人が接する情報量が増えた結果、こうあるべき、と言うマニュアルが増えたから、ステレオタイプが増えたからと考える。

それにより、恥ずかしい思いをしたくない、バカにされたくない、失敗したくないと言う思いから、直接的に人とやり取りするのが苦手になっていないだろうか?

本来、人と人との繋がりとは、もっと多様で、おおらかなものでは無いだろうか?自分で自分を、あるいは人を必要以上に締め付けていないだろうか?
そのなかで恋愛とは、最大の失敗を恐れる行為なのだから、やりにくいだろう。
もっと、楽にしていいんだよ。