情報の時代とは

情報化社会、情報の氾濫と言われて久しい。

確かに情報は圧倒的に増えた。
しかし、情報が圧倒的に増えた事で、個々の情報処理能力を超えてしまっていると私は思う。

結果、検索サイト、ニュースサイト、キュレーションサイトなどの集約化が起こる。そして、みんな辿り着く情報が絞られていく。

結果、フリー素材と言えばイラスト屋…検索と言えばGoogle…となっていく。

検索結果も、ネットの情報がさも電子辞書のように手軽で正確な情報と感じてしまう。だが実際には、ネットの情報は個人の情報の事も多く、正確とは限らない。ネットニュースもライターが書いたものを精査せず、そのまま載っている事もある。

調べる人は基本的に調べる内容を知らない人だ。その情報が正しいか一見では判らない。比較してみても、検索1位~10位が同じサイト及びそれの孫コピーだったりする。つまり1つの情報の反芻だ。それに気付かないと元の情報がさも絶対の様に感じる。

1つの洗脳と言えるだろう。
そして、そんな洗脳が身近な時代になったのだ。

加計学園問題と政治とは

ずいぶんと長い事揉めている加計学園問題。

個人的には、払い下げ金額が安かろうが、用途が学校で公的なもの、かつ開校する意味があるなら別に良いんじゃ無いか?とも思う。勿論、それによって私腹を肥やしたりするのは問題だし、口利きがあって不当に優遇されたなら倫理的に問題だろう。

私が言いたいのは、そういった問題を追及するのが国会の仕事なのか?と言うこと。今回の問題だけの話ではない。

中学生の社会科でも習うが、国会の仕事とは何か。通常国会の主の目的は国家予算審議。臨時国会の仕事はその他の決議の為。国会の役割は三権分立における立法。それに伴い条約の制定、最高裁の長官など。

あまりに政治家のゴシップに時間を割きすぎじゃないか?審議拒否とかいうボイコットは公共交通機関でも(営業上は)しないのに、堂々と公人と言われる政治家がして良いのか?

確かに政治は現状、政党制によって左右されるので、敵の数を削るゴシップ、ネガティブキャンペーンは有効だろう。
ただ、気付いて欲しい。本来の仕事に時間を割かない仕事はありなのか?それをみんな望んで、その人に投票したのか?
その人の政治手腕を信じたのか?

結局、ワイドショーみたいなゴシップ国会が有効なのは、政治に興味の無い民衆、我々の問題なのである。

あえて言おう。
そんなゴシップ国会に時間を割く位なら、加計学園問題なんてどうでも良いじゃないか。首相は他のゴシップ議員に比べたら、十分に政治手腕を発揮している。審議が必要な事は無限にある。ゴシップで首相を崩さず、政治家としての姿勢や議論で崩しにいって欲しいものだ。政治家なんだからさ。

現代風頭でっかち

タイトルは完全に私の造語であるが…

頭でっかちと言われると、私のイメージは理屈ばかりで行動になかなか移らない人の事。

今でも言葉の意味としてはそうだろう。

ただ、何故現代風…というタイトルを打ったのかと言うと、イメージに囚われ過ぎていないか?という問題提起をしたかった。

たとえば、かつてはIT道片という言葉があった。IT系の人が安い給与で昼夜無く単純労働の様に働く様を土木作業者に例えたものだったと思う。

今でも末端作業者の人はそうだろう。
でも、一部のエンジニアは世間の平均給与よりはるかに多く貰っている。

飲食、小売、物流など、ブラックと言われて久しいが、この3種で働く人がどんなに多い事か…。仕方がなく働いている人も少なく無いが、多くは望んで働いているのだ。

では、何を以てブラックと言うのか?
法令遵守していない所はブラックと言って言いかも知れないが、他はどうだろう?

入らないと判らない事も多いが、毛嫌いする必要も無いと思う。終身雇用など崩壊しているし、大手企業程崩れた時が悲惨だし、崩壊が見えない事もある。

潰れるホワイトと呼ばれる大企業、潰れないブラックと呼ばれる業界の企業、過労死や自殺のある有名企業。何が自分にとって良いのかは、風評では決まらないのでは無いだろうか?

理論と感情の間とは…

たとえば、飲食店で食事をしている時に、髪の毛が入っていたとする。

貴方は文句を言う人だろうか?
不快に思う人だろうか?

不快に思ったとして、その髪の毛が自分の物の可能性は考えただろうか?
或いは最初から、混入を想定して店を選んだだろうか?

店員が髪の毛を完全にしまっていても、髪の毛の混入は起きるの。混入されるのが嫌なのに、髪の毛しまってない店を選んだのは何故だろう。
自分の髪の毛一本、常に抜け落ちた瞬間を把握出来ないのに、自分のものを疑わなかったら、何故だろう。

そして、不快に思う根拠は何だろう?
食べれないからか?それは解る。
食事をしにきているのだから。

衛生面?髪の毛=不衛生を理屈で説明できるのは、ほんの一握りだろう。
そして、それを説明できる人ならば他の部分の衛生レベルの方が気になるだろう。(影響力、リスクの大小という意味で。)

つまるところ、人は理屈を重んじながら、限りなく印象≒感情で動いている。
それを理不尽と呼ぶこともある。
時々感情を吐き出しているのに、それに理屈を伴おうとして、意味不明になっている人がいる。

自分はそうなりたく無いものだ。
人にやられて嫌な事を人にする人になりたくないからな。

ビール乾杯の文化とは

最近、乾杯のビールが苦痛と言う話を聞く。
乾杯の際にひとなめでも良いからビールに口をつけろと言うのが嫌という話も聞く。

確かに、ビールが苦手と言う人もいるだろう。ただ、何故乾杯ビールの文化になったのか…考えた事はあるだろうか?

恐らく、瓶詰めのアルコールで一番アルコール度数が低いからだ。

人数いるところで、乾杯の為に1度に飲み物を用意するのは難しい。式典であるから、アルコールの必要があり、瓶詰めのアルコールで一番度数が低いビールになったのだ。海外ではシャンパン乾杯、ワイン乾杯もあるが、bar以外でカクテル乾杯はない。同じ理由だろう。

ビールがいやなら、ウィスキーで乾杯すれば良いじゃない。ハイボールではなく、ストレートだぞ?

給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。

給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。