理論と感情の間とは…

たとえば、飲食店で食事をしている時に、髪の毛が入っていたとする。

貴方は文句を言う人だろうか?
不快に思う人だろうか?

不快に思ったとして、その髪の毛が自分の物の可能性は考えただろうか?
或いは最初から、混入を想定して店を選んだだろうか?

店員が髪の毛を完全にしまっていても、髪の毛の混入は起きるの。混入されるのが嫌なのに、髪の毛しまってない店を選んだのは何故だろう。
自分の髪の毛一本、常に抜け落ちた瞬間を把握出来ないのに、自分のものを疑わなかったら、何故だろう。

そして、不快に思う根拠は何だろう?
食べれないからか?それは解る。
食事をしにきているのだから。

衛生面?髪の毛=不衛生を理屈で説明できるのは、ほんの一握りだろう。
そして、それを説明できる人ならば他の部分の衛生レベルの方が気になるだろう。(影響力、リスクの大小という意味で。)

つまるところ、人は理屈を重んじながら、限りなく印象≒感情で動いている。
それを理不尽と呼ぶこともある。
時々感情を吐き出しているのに、それに理屈を伴おうとして、意味不明になっている人がいる。

自分はそうなりたく無いものだ。
人にやられて嫌な事を人にする人になりたくないからな。