給与とは

給与とは労働の対価である。
それは間違いない。
では、給与に使うお金はどこから来るのか?

ここに頓着してない人が多すぎると、私は思う。

給与のお金は会社が出してくれる。
それは間違いない。
会社のお金はどこから来る?
お客様(顧客)からくる。
では、お客様は何故お金をくれるの??
お客様がサービス或いは商品の対価としてくれる。

つまり、お客様あっての給与なのである。そして、お客様が何にお金を出しているのかを考えるべきだろう。
そこに、お客様にとってのお金を払う理由(付加価値)があるのである。

要は、お金を払ってでもやって欲しい。
と言う事である。

今、自分が仕事と思ってしている仕事は、本当に仕事なのだろうか?
付加価値を生んでいるのだろうか?
自分の給与分の付加価値が無ければ、会社の誰かに養って貰ってるんだろう。
誰も給与分の付加価値を作れなければ、その会社は潰れるのである。

情報化社会と恋愛とは

情報化社会と言われてから、もう四半世紀近いだろうか?
当時、メモリー64MBのデスクトップパソコンでも数十万円だった。
今から20年前位でも、メモリー512MBのノートパソコンが30万位した。

今や、メモリー8GBのスマートフォンが8万円しない。

デジタルデバイスとその環境は文字通り指数的に進化した。
それに伴い、人々が接する情報量も指数的に増えた。

人と人との繋がりも、季節の挨拶の様な文通は廃れ、電話すら廃れ、Lineの個々のやり取りも下火になり、Twitterの様な間接的なやり取りも増えた。

なぜだろうか?
個人的には人が接する情報量が増えた結果、こうあるべき、と言うマニュアルが増えたから、ステレオタイプが増えたからと考える。

それにより、恥ずかしい思いをしたくない、バカにされたくない、失敗したくないと言う思いから、直接的に人とやり取りするのが苦手になっていないだろうか?

本来、人と人との繋がりとは、もっと多様で、おおらかなものでは無いだろうか?自分で自分を、あるいは人を必要以上に締め付けていないだろうか?
そのなかで恋愛とは、最大の失敗を恐れる行為なのだから、やりにくいだろう。
もっと、楽にしていいんだよ。

情報化社会と恋愛とは

情報化社会と言われてから、もう四半世紀近いだろうか?
当時、メモリー64MBのデスクトップパソコンでも数十万円だった。
今から20年前位でも、メモリー512MBのノートパソコンが30万位した。

今や、メモリー8GBのスマートフォンが8万円しない。

デジタルデバイスとその環境は文字通り指数的に進化した。
それに伴い、人々が接する情報量も指数的に増えた。

人と人との繋がりも、季節の挨拶の様な文通は廃れ、電話すら廃れ、Lineの個々のやり取りも下火になり、Twitterの様な間接的なやり取りも増えた。

なぜだろうか?
個人的には人が接する情報量が増えた結果、こうあるべき、と言うマニュアルが増えたから、ステレオタイプが増えたからと考える。

それにより、恥ずかしい思いをしたくない、バカにされたくない、失敗したくないと言う思いから、直接的に人とやり取りするのが苦手になっていないだろうか?

本来、人と人との繋がりとは、もっと多様で、おおらかなものでは無いだろうか?自分で自分を、あるいは人を必要以上に締め付けていないだろうか?
そのなかで恋愛とは、最大の失敗を恐れる行為なのだから、やりにくいだろう。
もっと、楽にしていいんだよ。

環境を保存すると言うこと

動植物も昭和らしい雰囲気なども、世界遺産も、保護、保存すると言うことは素晴らしいとは思う。

しかし、その反面、本当に良いのか?
と言う気持ちも拭いきれない。

環境も雰囲気、文化も刻々と変化するものである。例えば昔のレシピで作った料理は必ずしも美味しくは無い。
昔の技術で作る家はコストが高くメリットもデメリットも大きい。

町並みや雰囲気は、今はノスタルジーを感じる人がいるから、観光として成り立つが100年後は無理だろう。
すると、維持するコストもかかるし、そこに生活する人が人柱のようになってしまう。

時代の変化と共に場所やコスト、技術継承等のリスクが上がるのである。しかし、温故知新と言う言葉がある通り、保存されたものから学ぶ事も多い。歴史なのである。何でもかんでも保存するだけでなく、持続性を如何に担保するかも考える時期が来ているのではないか

タミフルの闇とは

インフルエンザにかかった。
初めてでは無いし、可能性は考えていたので、最小限の飲み物や備蓄もあった。

一人暮らしなので、自力で全てをこなさなければならないのは辛いが、ある程度動けるレベルだったのが幸いである。

インフルエンザの特効薬と言えばタミフルだろう。恐らく、それ以外の名前を挙げられるのは医療関係者位と思われる。

今回もてっきりタミフルが処方されるのかと思いきや、吸引式の別の薬が処方された。しかも、その場で薬剤師が付きっきりで吸引のサポートをしてくれた。
(容器の特性上、初見殺し感はあった)

現場としては、付きっきりで吸引させるより、薬渡しておしまいの方が楽だろう。ただ、この吸引式の薬、本当に良く効いた。もし、現場が手間よりもこの回復力を優先したのなら、大したサービス精神である。

ただ、タミフルを処方されたときの、異常行動リスクだとすれば、それは悲しい事である。

確かに、タミフル飲まなくても回復するかもしれない。でも、忘れないで欲しい。インフルエンザは毎年流行して、毎年数万人単位で人の命を奪う驚異の病である。毎年流行してるし、亡くなる人は高齢者が多いから実感が無いかも知れない。特効薬として名前が広まると言うことは、それだけ効果があり、それに救われた人がいるということ。

タミフルが世に出回った事に感謝こそすれ、糾弾するのは違うだろう。もちろん、異常行動リスクは改善点とし注意しなければならないが、先ずは多くの人を救っていることをちゃんとリスペクトするべきである。

学歴コンプレックスとは

これまで学歴コンプレックスとは、
『“学歴が無い人の”学歴に対するコンプレックス』
だと思っていたが、最近、違うのでは無いかと思っている。

恐らく、今は
『“高学歴の人の”現状と理想とのギャップに対するコンプレックス』
なのではないかと思う。

所謂、
こんなハズではなかった。
こんな学歴の人達と同じではない。
自分はもっと出来るのにチャンスを貰えない。
上司に評価して貰えない。
もっと優雅で裕福な暮らしをしているハズなのに。

と、いうやつである。
輝かしい自分を思い出す、一種の懐古厨とも言える。

往々にして、それは当人の詰めの甘さ、子供っぽさである。

学歴とは、日本において、有限範囲における一問一答の精度ランキングと言えると思う。そして、範囲が無限となり、正解、下手したら問題すら存在しない、就職活動や仕事において、成果を出せないが学歴は高い人が発生する。

その情況を理解したり、予測して真摯に対応してきた人は学歴コンプレックスなく、適応できているのだろう。
それが出来なかった人は、成果が出ない、成果が出せていない事が認められず、環境要因にしたり、相手に自分の有利な所(つまり学歴)でマウンティングしようとするのだろう。

社会における、弱い犬ほどよく吠えると言うヤツだ。かくいう私も多少の学歴コンプレックスを拗らせている。ただ、私は当時の自分は頑張った。ペーパーなら戦える。いつでも勉強し直して他の事が出来る成果と割りきれているので、多少の拗らせで済んでいる。醜い子供様な大人にならないために気を付けようと思う。

味覚とは

私の研究室の先輩は味覚センサーの研究をしていた。
糖度とかを測るアレだ。

何の因果か、私は今、飲食に携わっている。

普段から使っているチェーン喫茶店のメープルシロップが、今朝は普段より甘く感じた。
変えたのかとも思ったが、普通に考えて、チェーンで品が変わる事は少ない。
欠品して違うのを買ってきている事はあり得るが…

では何故なのか?
人は水分が不足していると?
栄養が不足していると?
口径補給水を甘く感じるという噂を聞いた事がある。

変わったのは私の方では無かろうか?

仮にメープルシロップは味覚センサーで品質一定に生産されていとして、受けとる我々の体調1つで受け取り方が変わるとしたら、品質一定の意味はあるのだろうか?

絶対味覚と主観味覚の妙である。
奥深さと同時に飲食を生業とするものとして、これ程困ることはない。